罪悪感はありやんす

申し訳ない気持ちでいっぱいなんです。

嫁さんが綺麗好きで掃除好きなことは何度か紹介したと思う。おかげで僕はとってもいい気分で毎日を過ごせているんだと改めて嫁さんに感謝するのだ。
「おはよう」起き抜けの僕がヨタヨタと寝室から出ながら声をかける。
毎朝、僕よりも必ず早く起きてリビングのテーブルで「めざまい8」とかけながらスマホで昨夜、届いた通知をチェックするのが日課だ。
「おはよう」ちらっと僕の方をみて返事を返してくれる。ベランダから見える外の景色と明るさから
「今日も暑いって」教えてくれる。
「そっかぁ〜はぁ」そっけなく返事をしながら洗面台へと向かう。そいて僕は洗面台でいつも思うことがふたつある。
そのひとつは「今、この状況で意識を失って倒れたくないなぁ」ということだ。起きてヨタヨタと歩いてトイレで思う切実な思いだ。あれを出したまま気を失って倒れた姿は大好きな嫁さんには晒したくないものだ。かと言って公共の場、例えば会社とか駅のトイレで同じように考えたりする。嫁さんに見られるだけで済むことと公共の場でそうなることを想像してみる。前者の場合、きっと嫁さんは当然ながら倒れていることにまず第一に驚くことだろう。そして大きな声で僕の名前を叫びながら気づくのだ。
『えっ途中だったの?』
そして後者の場合、そう出先の会社や駅のトイレで、その最中に倒れた場合だ。恐らくではあるが所轄の警察の担当者から突然、嫁さんは電話を受けることになるだろう。そしてスマホから聞こえてくる説明に一瞬「何?」と戸惑うだろう。
「〇〇さんの携帯でしょうか?」
「はい、〇〇です」
「私、◆◆警察書のものですが」
「◆◆警察?」
「はい、突然のご連絡ですみません。」丁寧な説明を受けて取り乱しながらも身支度をして教えられた警察署へ飛び込んで担当者を探してあてて聞くだろう。
「倒れたときチャックは閉まってましたか?」と・・・

もうひとつ思うことは「罪悪感だ」何に対する罪悪感かというとそれはこの洗面台を毎日綺麗な状態に保ち続けている僕の嫁さんとそれから洗面台の排水口からつながる社会に対してである。どういうことかというと、たまにではあるが、そう本当にたまにである。洗顔をして歯磨きをして口を濯いてさっぱりした顔と気持ちになって「よし、今日もいい感じ」と決して声に出したりはしないがいい気持ちになってふと洗面台の配水口を見るとプラスチックの丸いゴミ取りネットに小さなゴミが見える時がある。
「あれ?」と思いながらその小さなプラスチックのゴミ取りネットを手に取って見てみると何やら判別がつかないヌルヌルしてそうな要するに小さな「ゴミ」であることを理解する。そして持ち上げたその小さなプラスチックのゴミ取りネットの外側にも何本かの長い髪の毛がくっついていることにも気がつくのだ。明らかに僕のそれよりも長いその髪の毛の主が僕の嫁さんの物であることはすぐに認識する。問題はその後だ。僕は先ほども書いたようにこの配水口の先に繋がっている社会の全ての方々に申し訳ない気持ちをいっぱいにして
「ごめんね」と心で小さく言いながらそのヌルヌルしたゴミと絡まった髪の毛をジャージャーと水を流しながらそのプラスチックの丸いゴミ取りネットを綺麗に洗い上げるのだ。当然ながら勢いよく流れる水と一緒にヌルヌルしたゴミと髪の毛は配水口を一瞬で滑り落ちて大海へ続く配水管へと流れていくのだ。せっかくそんなゴミを流し込まないように置かれた小さなプラスチックのゴミ取りネットがセットされているのにである。罪悪感を実感する。洗面所からリビングに戻ると嫁さんが
「遅かったなぁ〜何してたん?」まさか罪悪感に苛まれて動けなかったと言うわけにはいかないではないか!
「そっかぁ」と一言だけ返して嫁さんが座るリビングの隣の椅子に座る。
「コーヒー?」いつも通りに嫁さんが聞いてくる。
「うん」と僕が返事をしていつもと変わらない一日が始まるのだ。

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